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書道家 Souun Takeda

武田双雲「世界感謝の日への思い・立ち上げるきっかけ」

僕が、世界の平和を真剣に考えるようになったのは、3年勤めた勤めていた会社を辞めてからでした。 同じころに9 11が起こったのも、自分の中では大きかった。 世界の平和は、もろい。 しかし、僕は思いました。 ほんとうに脆いのかと。 本当の平和とはもっと水のようなイメージではないのかと。 水は蒸発して雲になり、雨となって、川や海へ姿を変えます。 でもH2Oという化学組成は変わりません。 入れ物や環境にうまく応じながら、地球を循環しています。 僕は禅の世界にある、“行雲流水”という言葉が、とても好きです。 一定の形をもたず、自然に移り変わってよどみがないことを言い表します。 
水は、まさにそうです。僕の考えている平和のイメージは、行雲流水に集約されるものでした。 僕が長い間思っていた平和は、行雲流水とは別のものだったようです。 これまでの「平和」という言葉は、争いと表裏一体となっています。 人々が強く平和を願うほど、逆に争いを引き寄せてしまうのです。
世界平和=個人の平和。 世界とは、個人の総和体。世界平和とは家族平和であり、最小単位の個人の幸福が、 全世界の美しいハーモニーを奏でることにつながると思っています。 僕は9.11を受けて、僕は、書で世界の人たちの心を平和にしようと決めました。 書道家だからこそできることがあるのではないかと、ずっと走り続けてきました。 
書道は文字を持っています。 言葉を目に見える形で美として具現化する時の力は人類の予想を遥かに超えるものと信じて活動してきました。 一方で、争いを止める方法は、何かないのだろうかと模索していました。 しかし自分の無力感に何度も打ちのめされました。 では、憎しみや争いに拮抗する「力」とは何か。 もしかしたら、とてもシンプルな方法かもしれないと、ぼんやり思っていました。 
2009年の春ごろのことです。 休日を利用して、家族みんなで観音崎の砂浜を歩いていました。 砂浜にうちよせる波を見ているだけで、気持ちが安らぎました。 けれど息子と娘は、何やら穏やかではありませんでした。 前の夜に兄妹ゲンカをして、その怒りをまだ引きずっていたらしいのです。 ふたりの態度は険悪なままで、ついには砂浜で、つかみ合いのケンカになりました。 「お兄ちゃんが悪い!」「お前こそわるい!」と、 どっちも譲りません。妻がやめなさい! と叱っても、ケンカは収まりません。 そのとき僕は、娘を抱っこして、ちょっと遠くまで互いを引き離しました。 そして、距離を保たせたまま、しばらく家族みんなで散歩をしました。 帰り際に、僕は息子と娘に「はい、ケンカの続きをしていいよ」と言いました。 するとふたりは、キョトンとして、何で? みたいな顔をしています。 さっきまであんなにケンカしていたのに、すっかり忘れて、いつもの仲の良い兄弟に戻っていました。 僕は、あれ? と思いました。 こんな簡単に、ケンカって収まるものなのかと。 そのとき僕は、気づいたのです。 争いあってる国も、一旦、対立している国家と国家を、引き離してみたらいいのじゃないか。 強制的に争いを、一時停止すれば、後でまたケンカやり直すのは面倒でしょう。 もしかしたら国どうしの争いをなくすのって、こんな感じでいけるのでは? そう気づいたとき、僕の心にすとんと、[感謝]という言葉が落ちてきました。 「感謝」、、、 観音崎で、感謝が降りてきた瞬間、あるビジョンが湧き上がりました。。
「世界に感謝の日をつくろう!」 それが“感謝69”=6月9日です。 思いついたとき、鳥肌がバーッと立ちました。 感謝の日をつくる理由と、実現のプランが止めどなく浮かんできます。 妻に「いまから言う話を全部メモって!」と、慌てて頼んだほどです。 なぜ6月9日なのか。 6と9は陰と陽が表現できる。 価値観の違う者が互いにつながる。 つながると、69は、∞が現れます。 無限大また、リンク、つながり、絆、いろんなものをシンボリックに表わしている数字です。 新たなムーブメントの起点としては、ベストの日だと考えています。 感謝69は「人類の感謝力を一気に引き出すお祭り」です。 日本の漁港のお祭りや、だんじり祭り、スペインのトマト祭り。 世界中のお祭はほとんど五穀豊穣や無病息災を祈って、何百年も続いているものです。 そこに共通しているのは、大いなる感謝。 感謝することで、天候が安定したり、収穫高が良かったり、いいことが続くのを、昔の人は知っていたのでしょう。 感謝すると物事がうまくいくのは、自然の摂理なのです。 感謝は、時空を超えて恵みを得られる波動を発しています。 感謝ほど波動の美しい言葉はないと思います。 反対に「欲しい」とか「足りない」という感情の波動は、不協和音を感じます。 幸運や財運を求めてばかりいると、逆に失敗したり貧しくなるのは、そういうことでしょう。 
人類は、たくさんの命の生死を見つめてゆくうちに、感謝が物事をいい方に導いてゆくことを発見しました。 けれど僕たちは、文明の発達と共に感謝を忘れてゆきました。 公共サービスがある生活を、当たり前だと思っています。 蛇口をひねれば水が出る、スーパーに獲れたての鮮魚が並ぶ、雨不足の年もコメが好きなだけ買える。 わずか200 年ほど前の江戸時代からしたら、奇跡だらけの生活に、 ほとんど感謝することなく、あれが足りないこれが欲しいと、不満ばかりを言っています。 持っているのが当たり前という波動は、感謝の波動とは真逆のもの。 当たり前だという考え方は、ないものに対して過剰に反応します。 それはやがて、ぼんやりとした危機感に変わり、誰かを攻撃したり、争いを誘発するものになるでしょう。 いまこそ感謝を思いだすべきときだと思います。 感謝こそ、人類の最大の叡智。 天との上手な向き合い方が、そこに詰まっています。
文明の発達と共に、感謝を忘れてしまったと言いましたが、感謝と文明は相反するものではありまん。 共に、持ち続けられるもののはずです。 誰もが心に持っています。文明生活の中で、みんなの中の感謝のキーを引きだすのが、感謝69です。
感謝には、対義語となる言葉がありません。 怒りの反対は喜び。貧乏の反対は金持ち。不幸の反対は幸福。しかし感謝には、反対の言葉ないのです。 不感謝とか非感謝とは言わないと思います。 言葉の意味が、独立していて、対抗するものがない。 それだけで感謝は、特別なレイヤーにある言葉だと思っています。
言葉は、人間の概念を表現しています。人間の心のありようを、そのまま映しているとも言えます。 だからこそ、もろい部分もあるのです。 幸福も平和も、強く思えば思うほど、反対の不幸や争いを意識せざるをえません。 ダイエットでも、痩せたいと願うほど、太っている自分を意識してしまうし、 金持ちになりたいと願えば、貧乏になったときの不安が拭えないものです。 ところが感謝は違います。どれだけ感謝を捧げても、その反対の言葉がないから、感謝は薄まらず、いつまでも残っています。 「思わない」ということは、人には最も難しいことですが、感謝だけは「反対のイメージを思わない」という注意が、必要ありません。 それだけでも、あらゆる言葉の中で特別な位置にあると思います。
この世のすべてのものは固有の振動=バイブレーションを持っています。現代の科学でそれが証明されつつあります。 世界は振動で出来ています。その中でも感謝は、ずば抜けて高いレベルの波動を発しています。 感謝の波動でお茶を飲むと美味しくなるし、感謝の波動でペットと接すれば、愛らしさがさらに増します。 感謝の波動は、原子に特別な力ではたらきかけて、喜びや感動のハーモニーを生みだすのです。 原子の単位で見れば、自分と他人を区別するものはありません。 個体に境目はない。濃淡があるだけ。物理学的にも世界はひとつなのです。 自分と外とを隔てているものは何もなく、自分はすなわち世界である。 だからこそ感謝の波動は、物理的に、地球の裏側まで伝わります。 
感謝69は、新しい感謝を埋めこむ日ではありません。 もともと人には、心が感謝の状態に入るスイッチを持っています。 感謝69は、そのスイッチを、発動させるだけ。 いちど入ったスイッチは、連動して隣の人、その隣の人の感謝の扉も、パーッと開いてゆくでしょう。 6月8日までは、争っていても。 6月9日に感謝が地球に行き交った後に 6月10日に、また争いを再開する国は、ひとつもないのではないでしょうか。 僕が息子と娘のケンカを止めたように、ちょっと間を引き離すだけで、争いはなくなるはずです。 感謝69は、1日で世界のあり方を、がらりと変えることでしょう。 感謝69はイメージ的には、お祭りのオリンピックです。 日本のだんじり祭りと、アフリカの内陸の部族の祭りが、コラボレーションしたら面白いものになるでしょう。 競争ではないから誰でも参加できます。アーティストは祭りをテーマに曲をつくり、 画家は絵やオブジェを制作して、建築家はテーマパークをつくる。 多様なジャンルの芸術の文脈が、感謝をキーにすべて活用される。 企業は感謝69の日に、お客様に感謝するキャンペーンを強化して、政治家は世話になっている国家に、感謝状を出す。 この日だけは敵対している国に、感謝状を出すのもいい。 
個人は、感謝の手紙をたくさん書いて投函する。 妻にプレゼントを考えるのも素敵です。 感謝の気持ちで、好きな人にプレゼントを考えているときの気持ちは、とてもいとおしいもの。 その波動は、回り回って、争いを止める力となるでしょう。 あらゆる人たちが、それぞれの方法で感謝をささげる、「ありがとう」のフェスティバルの日です。 順位をつけるものではないから、オリンピックよりも大きな規模に成長するのではないでしょうか。 例えば、他に、69の日だけは、メディアは、批判なし。 感謝の記事で埋め尽くす。 それだけでも、世界の空気は変わることでしょう。 
他にも僕では思いもしない、アイデアを世界中の人々が出し合い、奇跡を起こしていくでしょう。 1日だけでいいのです。 1日で世界は変わるでしょう。 政治とか歴史とか、簡単に整理のつかない問題は世界中に山積みですが。 6月9日だけは怒りも憎しみもいったん止めて、世界中の人たちの心を、感謝でいっぱいにしたい。 
そんな日をつくることは、現実的には難しいと言う人もいるでしょう。 だけど、感謝の日をつくることを嫌がる人はいるでしょうか? 誰も、何ひとつ不利益をこうむることはありません。 むしろ企業が加わって、感謝ビジネスが立ち上がれば、不況の活性化にもなるでしょう。 僕の中では、時間はかかっても、必ず実現できるプロジェクトだと信じています。 物事がうまく進まないのは、感謝の足りないときです。 例えば妻が、風呂上りにタオルを用意してくれていることだけでも、感謝すべきことがたくさん詰まっているのです。 家族が濡れて風邪をひかないように、きちんと洗濯して畳んでくれている。 洗濯機はメーカーが努力してつくってくれた便利な家電で、昔はなかったものです。 タオル1枚だって、僕の手元に来るまで、工場や生産メーカーを経て、どれだけたくさんの人の手が加わってきたか。 ちょっと身の回りを見渡すただけで、感謝に足るものだらけであることを、忘れないようにしたいものです。 僕たちは現代にいるというだけで、感謝してもし足りないぐらい、満ち足りた生活を送っているのです。 わずか100 年ほど前の日本人から見れば、僕らは生まれながらにして、魔法の国にいるのと同じです。 短い月日のうちに、僕たちは驚異的な文明の恩恵を受けるようになりました。 余りにも便利になり過ぎて、肉ひときれにどれだけたくさんの命が犠牲にされているかも、想像できなくなっています。 ほんの少し前までなかったものを、手にあふれるほど持っているのに。 新しい時代を、感謝であふれる日から迎えましょう。   もし、共感、共鳴、してくれる方がいたら一緒に、このお祭りを楽しんでいきましょう(*^_^*)

書いた日::2011.6.9   世界感謝の日69